シードル作りの歴史
キリスト教ではアダムとイヴが楽園を追放される原因となった果物として描かれ、またニュートンが重力を発見するきっかけとなったとされるりんごはふるくから食用や飼料として世界各地で利用されてきました。
コーカサス地方から北部ペルシャ(イラン)地方、中央アジアの天山山脈(トルキスタンから新疆)に自生していたものが広く世界に流通し、私たちの生活の中に溶け込んでいったと考えられています。
日本にも古くから存在し、中国から渡ってきたものと考えられていますが、あまり食用には適さず、広く活用されていたわけではないようです。
明治の文明開化とともにアメリカやヨーロッパから西洋りんごが伝わり、りんごの栽培も本格化します。
さて、ヨーロッパでは紀元前からシードル作りが行われていたようで、最古の文献としては紀元前55年にローマのユリウス・カエサルがケルト民族がりんごの果汁を発酵させているのを発見します。
4世紀ごろにはローマでシードルを意味する単語が使われるようになり、9世紀のフランク王国ではカール大帝が交易のための産品としてシードル作りに力を入れました。
スペインから製法が伝えられたフランスのブルターニュでも11世紀ごろに独自の製法が確立。現在まで続くシードルの一大産地となります。
同じころにイギリスでもシードル作りが始まり、その後イギリスから世界各地に広められます。
その後歴史の興亡の中でシードルも盛衰を共にし、禁酒法や戦争などを生き抜き、近年再び注目を集めるようになっています。
日本のシードル作り
明治時代以降りんごの栽培が本格化した日本ですが、シードル作りは第二次世界大戦後にまで時代を下ります。
1953年に欧米を視察した、弘前の吉井酒造社長の吉井勇が、帰国後にアサヒビールと連携し、朝日シードル株式会社を設立。これが日本におけるシードルの始まりとされています。
ただし非発泡性のものはアップルワインという名で1938年に竹鶴政孝のニッカウヰスキーによって製造されていたようです。
0コメント